この度、ホームページを開設いたしました。
これまでは、アメブロに書いていたブログですが、今後はこちらにお引越しいたします。
まずは自己紹介を。
1975年5月21日生まれ
佐賀県出身・つくば市在住。
夫、1男2女を授かり、5人家族。
中学・高校時代の思春期による身体の変化と、アメリカへの留学がきっかけで、体重が10キロ増え、ほっそりさんからぽっちゃりさんへ。留学から帰国後、大学進学の受験勉強で、ますます、増加しました。
受験勉強を終え、私の身体を心配した母に、スポーツジムへ連れていかれ、エアロビクスのレッスンを受けたところ、音楽に合わせて運動する楽しさと気持ちよさを知り、心が躍りました。
親元を離れ、大学へ進学してからは、学業をそっちのけで、入部したラクロス部で、部活三昧の4年間を過ごしました。
そして就職。佐賀平野でのびのびと育った私ですが、品川に住み、赤坂のオフィスで働き、東京の荒波にもまれながら貴重な社会人経験を積ませて頂きました。
社会人1年目で突き付けられた女性の生き方
私が社会人1年目のころ、『ライフワークバランス』という言葉が出はじめた頃でした。仕事と家庭を両立する女性の多い会社でした。
仕事が終わったら、急いで保育園に子供を迎えに行き、子供が熱を出せば、申し訳なさそうに早退されていました。仕事と家庭の両立がいかに大変かを知らされた6年間でした。
「私は結婚して、子供を産んでも、先輩たちみたいに会社員として働きたいのかな?」
「満員電車に乗り、急ぎ足で仕事へ行き、急ぎ足で保育園に迎えに行く生活ができるだろうか?」
「もっとゆっくり子育てをしたいな。」
「子供はもっとお母さんと一緒に過ごしたいんじゃないだろうか?」
都内に住んでいたからなおのこと、毎日が慌ただしく感じていたのかもしれませんが、子供をその時間軸の中で育てられるイメージが湧きませんでした。
きっと、私の幼少期は、もっと時間がゆっくり流れていたし、のびのびと育ったからかもしれません。
と同時に、「でも、結婚や子育てが理由で、仕事を辞めたくない」という思いも強くありました。
社会人一年目、お茶出し、ビジネスレターの書き方、電話の取り方、会議の議事録の作り方、未熟ながらもたくさん仕事を教わりながら、一方で、「このままでは、私は結婚と子育ての犠牲になるかもしれない!!!」と危機感を強く感じていました。
社会人1年目で手に職をつけ始める。
社会人1年目で感じた危機感。たくさんたくさん、考えて、私が出した答え。
「いつ結婚するか、子供を産むかは分からないけれど、将来のために、仕事を諦めなくていいように、手に職をつけよう!好きなことを仕事にしよう!」
でした。その当時、付き合っている彼氏すらいませんでしたから、よくそこまで考えたな・・・。と思いますが、少し先を考えて準備する私の性格かもしれません。
色んな仕事雑誌を読み漁り、自分の好きなことってなんだろう?と模索しました。
その時、ふと、高校3年生の受験後の春休み、母に連れていかれたエアロビクスを思い出しました。ノリノリの音楽を大音量で鳴らし、マイク片手にヒューヒュー盛り上げながら運動させるお仕事。「これだ!」と思いました。
エアロビクス養成学校も調べに調べ、最終的に中目黒にある八千代スタジオへ。決して安くない、他と比較すると高額な授業料でしたが、八千代先生の教えに共感と感銘と感動で、仕事が終わって毎日のようにスタジオへ通いました。
資格を取得し、平日は会社員、週末はインストラクターの2足のわらじを履いて、社会人6年が経ちました。
いよいよ結婚
結婚することになり、会社を辞めました。新入社員で入った私を大切に育ててくださいました。
秘書室の時は、会長の机に熱々のお茶をばらまいても笑って許してくださいました。大した仕事もできないのに、海外出張も行かせてくださったり、広報部では広告のモデルさんのオーディションを見させていただいたり、ワクワクする恵まれたありがたい環境でした。
私の2足のわらじを黙って見守って下さり、私なりに考え行動した将来への準備もできました。
結婚することにはなったものの、高校まで過ごした実家にもう一度帰りたいと思い、10か月間、佐賀に帰りました。4人兄弟で騒がしかった実家は、全員家を出て進学、就職したため、静まり返っていました。
私は、最後の独身生活、好きなことをやろう!と、実家の近くに新しくできたスポーツジムで、インストラクターとして毎日レッスンをしました。
住む場所が変わっても、手に職があることで、キャリアを継続することができたのです。
そして、いよいよ、結婚となり、佐賀から茨城県つくば市へ。都内にも通勤できて、子育てしやすい環境を求めて、つくばへ。ほどよく田舎。気に入っています。
結婚、妊娠、出産のお話へ続きます・・・。